15年前まで私は東京におりました。その時に、
厳しい親方に出会い、朝も、めちゃくちゃ早い時間(始発の電車でも間に合わない)に現場集合で、

毎日もう堪忍してくれっていつも思っておりました。

その頃、いつも言われていたのが、20歳やそこらなら、電気や設備の仕事も覚えて、損は無いだろ

なんて言われ、親方の仲間のところへ夜勤や休みの日には行かされ、(でもすごい方で、その分はしっかり別に日当をくれました。)一切、休みが無いだけでなく、寝る時間さえ無かったのです。いろいろな現場へ行っても長野県で、あれだけ厳しい人は見たことありません

これだけ時間が経っても未だに電話に出るのでさえ、怖いです。

でも連休になると、年に何回か電話が来るんです。

ちなみにこのゴールデンウィークにも掛かってきました。

でも今になればすごい感謝しています。普通、住宅展示場のモデルハウスに行っても、営業の人たちは、工事のことはほとんどわからないですし、工務店やハウスメーカーの監督さんでさえ、電気や設備の工事のことは分かりません。でも私の場合、分かるだけでなく、お蔭様で仕事も出来るのです。ちなみに
イッシンハウスのモデルハウスの電気工事の8割ぐらいを私がしました。ですから、設備屋さんも電気屋さんも、手が抜けなくてかわいそう

(因みに設備屋の赤羽君も自分でやってよ、って言ってました。

)実際に手を抜くことはおろか、そこまでしなくてもっていうぐらい、みなさんこだわって仕事していますよ

でもさすがに電気工事はもううんざり、

一番このモデルハウスで疲れたのがこの電気工事です。こんな複雑な配線は二度と嫌です。(普通の住宅の5軒分相当、使った電線の長さも、富士山の高さ以上

)さすがに前回登場した、電気屋おさちゃんに最後は全部やってもらいました。住宅の新築の場合、基本的には大工の仕事の進み具合で、他の業種は段取りしますから、いつもなら早く仕事してくれないと、こっちが仕事出来ないんだよね

って、いつも煽っている立場なのに、このモデルハウスの建設に関しては、家の棟梁に煽られる立場だったので、新築住宅にしても、住宅のリフォームにしても、やっぱりいつも通りの仕事、大工が一番いい

って本当に実感しました。この頃の私を、電気屋おさちゃんは、今になっても言いますが、あの頃は顔色悪かったよね、この人、大丈夫

って思っていたらしいです。だったらもっと大切にしてよー
posted by isshin-house at 19:23|
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家づくり日記